4 木版畫、リノリウム版畫の技法

一、木版畫の種類
 木版には板目木版と木口木版の二種がある。前者は木材を縱に挽き、その板目に彫るもので仕事が樂で、自由で繪具の含みも面白く、柔かい色の調子も出し易い。後者は木材を横に挽き、木口に彫るもので、板目より堅いので微細な仕事に適し、物を寫實的に表はすには、獨自の特長をもつてゐる。板目木版を俗に日本木版、木口木版を西洋木版と云つてゐる。而し單に木版と云へば日本でも、西歐でも板目木版を指すまでに、今日は廣く行はれてゐる。木材の代りにリノリウムを置きかへたのがリノリウム版で、普通リノカツトと云はれ、版材として弱い憾みはあるが、其の質が一樣で彫刻し易い所から初歩の版畫として近頃は隨分普及してゐる。
二、原畫の描き方
 昔は版下と稱し、薄美濃紙に描き、これを板材に裏返しに貼付して彫つた。徳川時代に行はれた版畫は、下繪描きと彫師と刷師が、別々で三部制がうまく連關して發達した。何にしても版畫を作るには下畫、草稿畫の研究は第一歩として必要である。普通の畫技を働かせて、下繪の準備は出來るが注意すべきは、物の見方表はし方に於て、版畫獨特の黒と白との階調を重視し、版畫としての効果を、考慮することを忘れてはならない。版畫はどこまでも出來てゐる繪を、版でまねするものと思つてはいけない。版畫の美しさは結局描畫の美しさでなく、刀で描く美しさである。細い刀と太い刀を比べると、太い刀は矢張り大きい味がある。それには黒いラシヤ紙や、色紙等にホワイトで描いて見るがよい。又版木を黒く塗り潰して、ホワイトで描いて見るもよい。この研究を版畫デツサンと呼んでゐる人もあるが、大切な豫備練習の過程である。
 原畫が出來たら美濃紙か雁皮紙に描いて版木に貼寫するのであるが、これは自畫自刻するものにとつては暇つぶしの仕事であり、隨分おつくうな事である。
 それよりも直接鉛筆なり筆なりで輸廓をとり、後は刀で筆の役目をさせ、刀で繪を描いて行く否繪を彫り殘して行くといふ氣持ちでやつて行くのが遙かに簡明であり、容易であり、學校などで行ふとしては教育的價値も大きい。近代版畫の重視する刀畫の手法とか自由な技巧とかいふのも、この邊をねらつてゐるのではあるまいか。初めて試みる人は下繪を描く場合ペンや鉛筆を強く走らせて版面に傷をつけぬやう注意する。版畫といへば兎に角繪ばかり彫ることのやうに考へてゐるが、各種の文字や圖案を刻ませることも大切な事である。何處までも忘れてならないのは版畫は既製の繪や圖案を版でまねするものと思つてはならない。原畫は出來るだけ多方面から題材を自由に採擇するがよい。
三、版材の選定
 版材としては朴、桂、リノリウム、櫻、黄楊等いろ/\ある。昔は櫻が一般に用ひられてゐたが、今は、朴、桂、リノリウム等が多い。[# 原本では「。」がないので入れた]黄楊は質が緻密であり堅硬であるから特に細かい彫りに使用されてゐる。木口木版用としてはこれに越したものはない。要するに版材としては質が緻密で木質部と皮質部が一樣で粘り強さがあるものがよい。この點から桐杉等は到底用ひられない。リノリウムは木材の粉末を塗料で練り麻布に一樣に引きつけたもので、質が一樣であり、大きい版面も自由に得られるのが長所である。油繪に用ひる朴や桂で作つた素木のスケツチ板も割合によいものである。[# 原本では「。」がないので入れた]

第十三圖
四、版畫の用具
――版畫の用具を大別すると次の二種となる。
1、彫版に必要なもの
匁 物――彫刻刀、あいすき、丸刀、見當鑿、三角刀
砥 石――荒砥、青砥、合せ砥、油砥
槌  ――木槌
彫板臺――羅紗貼りの机、砂袋
2、刷版に必要なもの
バレン――バレン當、竹皮より成り、紙の上を摺るもの
刷毛、房楊子、水彩平筆、隈取筆――繪具を版面につけるもの
ルーラー――インキを版面につけるもの
繪具皿――繪具を溶解するもの
油 布――バレンに油氣を與へるもの
手輕に用具を整へるには、第十三圖に示す如き組合せものを用意すればよい。右側の三本は普通もの、左側の三本は長押もの、甲府市魚町の「くろがねや」には、この外各種の彫刻刀類が取揃へられ、三本組二十錢から五十錢、五本組五十錢から一圓内外で、販賣されてゐる。而し初めからさう凡てを用意する必要はない。彫刻刀や三角のみは普通の切出刀で、あいすきは丸刀で代用させる。結局丸刀一本で凡てが間に合ひ、而も近代版畫のねらふ、刀痕の面白味が現はれる。版畫の隆盛につれて、近來使用に堪へぬ粗惡の刀が殖えて來た。成る可くしつかりしたものを、選擇することが大切である。槌や彫板臺は不用、砥石は普通のものでよい。バレンは刷りの場合是非とも必要のもので、製作法は厚ボールを丸く切り、布を當て竹皮で包めばよい。[# 原本では「。」がないので入れた]詳しい事は、尚第十六圖の左圖を參照せられたい。刷毛、房楊子、繪具皿、油布等は特に用意する程のものでもない。印刷インキを用ふる時は、謄寫板用のルーラーが都合がよい。尤もゴム管に針金を通して、簡易ルーラーを作ることも出來る。かう書くと何にも用具はいらないやうであるが、刀物は第十六圖に示す要領に從つて、時々研磨することが大切である。刀物の手入の十分に行ひ得る人は、きつと版畫の技術も思ふやうに出來る人である。技術や頭がだん/\進むに從つていろ/\の用具も必要となつて來るであらう。其時は順次用意し必要な用具を使ひこなすやう修練して行く事が大切である。

第十四圖


第十五圖


第十六圖
五、版畫の彫リ方
 第十四圖の右に示すものは彫刻刀の持ち方、左に示すものは丸刀の持ち方、第十五圖に示すものは三角刀の持ち方要領を示したものである。大きく分類するとこの三樣になるが、而し持ち方など一定の規則があるものでなく、どうもつても差支へない[# 原本では改行されているため「。」がないので入れた]刻み乍ら版木を廻すことを禁ずる人もあるが、これだつて自由だ。たゞ逆目が立つやうな場合は順目に刀の運びを變へる必要がある。木版に比べてリノカツトは、仕上が鈍くなり勝ちのものだから注意を要する。線を追つて刻つて行く場合と、線に沿つて鼠がかぢる樣に刻り込んで行く場合とあるが、何れにしても、リノカツトと木版とは刀痕に特質がある。又刀を輕く使つてハーフトーンを作ることや、けづり殘りを利用して版畫を引き締めることや、わざと切れない刀や、逆目などを用ひて、ギザ/\を作ることや、いろ/\技法もあるが、要するに、版の相異による特質を活かすことが、何よりも大切である。こんな事を頭に置き乍ら、版畫デツサンに從つて自由に自己所産の手法で、ずん/\押して行けばよい。思切つて、自己流でやつて行くがよい。技術の妙味など冷暖自知の境地で、到底筆紙で盡さるべきものではないし、自分でやつて、その發見の喜びに浸る方が除程いゝ。たゞ版の構成上忘れてならないのは、何時でも、どんな場合でも、第十六圖の右下に示すやうに刀を使ひ、左側の圖の如くならぬやう注意を要する。多色刷の場合は、下繪の時から右角に「鍵」それより左方に「引き附け」と稱する「見當」を定め、刷の場合紙の位置を常に一定不變ならしめる必要がある。單色版、多色版共に校正刷りを行ひ、版木と見比べて順次修正し、完全なものに仕上げて行く。
六、繪具と紙
 刷版に必要な用具はすでに述べた。こゝには繪具と紙について述べる。
一、繪具
○日本繪具
赤 色  朱、洋紅
青 色  群青、藍棒、べろ藍
黄 色  雌黄、黄土
緑 色  白緑青、草色
褐 色  岱赭、朱土、烏賊墨
黒 色  墨、版墨
白 色  胡粉、湯の花
其 他  雲母、金粉、銀粉、銅粉
○水彩繪具
朱 色  ヴアーミリオン
紅 色  クリムソンレーキ
空 色  コバルトブリユー
藍 色  インヂゴー
黄 色  クロームエロー
緑 色  ビリヂヤン
代赭色  ライトレツト
鳶 色  バーントシーナ
墨 色  アイボリイブラツク
白 色  チヤイニースホワイト
○油繪具
○印刷インキ
○テンペラ繪具
○圖案用グアシユ
等色々ある。是等のものは特に用意せずとも、墨は習字用のものでよく、色は水彩繪具かテンペラ繪具、又は油繪具で十分である。結局いゝ結果が得られゝばいゝのだから、繪具など何をどう混ぜて使用しても差支へない。たゞ粉末繪具を溶かした場合は多少糊を入れないと、うまく刷れない。又リノリウム版の場合はテンペラのテレビン油溶きも、面白いものである。油繪具や印刷インキを使用した際には、版面を揮發油で洗つて置くことを忘れてはならない。
二、紙
○日本紙
柾紙、奉書紙、仙華紙、鳥子紙、西の内、白雲紙、端切らず紙、粗紙等
○西洋紙
模造紙、アート紙、ラフ紙、コツトン紙、ラシヤ紙、色上質、金濳紙、銀濳紙等
いろ/\あるが、本書扉のカツトは黄鳥子紙、口繪は柾紙、中扉は色上質、三色版は、アート紙で、皆それ/″\異つた味が表はれてゐる。一般に軟かい紙は版木にひつつき、硬い紙は滑り、うすい紙は裂け、厚い紙は、刷り難いものであるから、その性質を理解し、日本紙でも、西洋紙でも種々試みて其の版畫の特質を活かすことが肝要である。
七、[# 原本では「、」がないので入れた]版畫の刷リ方
 先づ所要の繪具を溶き、刷毛につけて木版の表面に塗り、印刷紙を當て、其の上をバレンで摩擦する。摩擦の要領は始め全体を靜かに、段々力を入れて摺り上げる。水繪具で刷る場合には、印刷紙に豫め僅かの濕氣を與へて置くと、一段の色の馴じみと落着きが得られる。油繪具や印刷インキの場合には、ルーラーを用ひてもよい。尚ほこの場合は印刷紙に濕りを與へる必要はない。
 ぼかしの技法も版畫では、重要な技法の一つであるが、これを行ふには二つのやり方がある。
一、板ぼかし
ぼかさうとする部分を木賊で擦るか、小刀で削り※[#「にすい+咸」、読みは「へ」]らすかして、バレンの當りを弱くする方法で、普通に色を塗つて刷れば自然にぼけて表れる。尚ほ淺く刻つてかすれさしたり、わざと切れない刀や、逆目など用ひてギザ/\を作つて見たり、又は刀をうんと傾けて用ひて、ぼかしたりいろ/\の方法もあるが、それ等は自由に工夫すればよい。
二、刷ぼかし
刷りの際行ふ技巧で、拭いてぼかすのと、刷毛でぼかすのと二つある。拭きぼかしは色を版木に塗つてから、後で乾いた布で拭いてぼかす場合と、浮世繪の空ぼかしのやうに、ぼかさうとする部分を布で濡らしてから、色を刷りとる場合とある。刷毛ぼかしは、一つの刷毛の先端に色をつけ、末端に水を含ませ、横に刷毛を動かせて色を塗るのである。これは刷毛そのものがぼけてゐるから、其の通りに表せる譯であるが、刷毛の[# 原本では「も」となっている]幅だけしか表せない缺點があるので、一小部をぼかすときに用ひられる。またバレンの使ひ方によつて、若干濃淡が表はせる。塗り潰しの部分や、特に濃くしやうとする部分は、バレンで強く摩擦するがよい。バレンの竹皮が破れたら、新しい竹皮を水に浸し、作りかへるがよい。
 以上は單色刷の場合であるが、圖樣によつては一つの版に色を塗り分け、多色刷を行ふことも出來る。何枚も版を重ねる場合には、原畫を何枚かの版下に解体し、其れ/″\彫刻してから、豫め彫つて置いた「見當」を定規として順次版を重ねて行く。口繪の冬の荒川橋は木版五度刷、甲斐八珍果は木版四度刷である。色刷の要領については一色刷をやつてゐる間に、自然に會得されるであらうから、こゝには省いて置く。


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