作者の言葉

 一口に版畫といつても凸版あり、凹版あり、平版あり、又是等の何れにも屬し難いものもあるが、通俗に版畫といへば木材、金屬、リノリウム等の面に繪や模樣を描き、これを彫つたものを刷り取つたもので、日本では古くから發達し、其の作品は西歐人の驚異の的となつてゐる。由來版畫には或る一種の共通の味ひがある。そして誰でも少し練習すれば、自畫自刻自刷が容易に出來る。
 而も彫つたものからは、無器用な刀使ひや、技巧を知らない點で、又知つてゐて上手にやれない點で、とても筆では描けない味が出るし、印刷も氣持のいゝものが出來る。それは版や、刀や印刷それ自身が持つてゐる特殊な情趣で、誰がやつても出る味である。一時下火になつた版畫熱が、近來著しく昂つて來たのは、矢張り東洋殊に日本の情緒を表現するに適した藝術であるからであらう。
 新しい藝術の創造に向ふ人々にとつては、もはや畫題や繪具や表現樣式等選ぶ必要はない。只表現――創造が生命である。
 近頃力説されてゐる郷土教育の如きも種々論議はあるが、それは暫く措いて、誰だつて、この郷土に生れ、この郷土に育つた以上、この郷土のよりよき進展を願ふのは自然の情愛である。この郷土愛の精神は郷土の自然美、郷土の人工美を意識し、体驗することによつて、より確實となることは、ワイルドの言を煩はすまでもない。藝術の力を通して、教育の力を働かして、よりよき郷土社會の構成に參與する、これは餘りにも當然な事である。
 こんな心持ちが緯となり經となり、今度圖畫科の増課選修生が、甲府を中心に縣下全般に亘つて、それ/″\分擔をきめて刀を走らせた。
 版畫にした郷土、版畫となつた我が郷土のプロフイール、題して郷土風景とは命名したが、單なる外面的な現象許りを捉へたものではない。趣味の版畫として御覽を願ふと共に、版畫を通して郷土の政治、教育、産業、史蹟名勝、天然※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」]念物、宗教、景勝地開發等の諸問題についても思ひを寄せて貰ひたい。
 年々ジヤパン、ツーリスト、ビユーロー[# ママ]では、全國各地の遊覽客の調査をやつてゐるが、それによると

 
昭和3昭和6昭和7
富士山麓88、930146、200232、142
富士登山32、36742、70742、856
昇仙峽87、050102、714108、229
八ヶ岳14、70016、79015、267
駒ヶ岳1、8366、8236、615
甘利山80011、50020、000
瑞牆山2003、2002、670
大菩薩2、30015、0008、734
身延下部200、000300、000121、008
三ッ峠8、00013、50014、900
南アルプス   ー5001、247
合計  436、183  658、934  573、660
[# 原本は漢数字だが、ここでは読み易さを考えアラビア数字にした]

の如き數字を示し、年毎に觀光地としての山梨の躍進が窺はれる。是等の點については特に意を注いだつもりである。
 三十幾人かの共働勞作であり、版畫の技法も、其の説明の文体も、着想も多種多樣にして、一人でものしたやうな統一はない。而しそこが本書の特色で、一枚毎に清新な氣分を持つて迎へられるであらう事を信じてゐる。
 印刷費の關係から、涙ぐましいまでに努力された多數の作品を、割愛するの止むなきに至つたのは遺憾であるが、それでも今迄に見られない豪華版であり、ことに或る目的の下に体系づけられたこの種の版畫集としては、全國最初の試みであるかも知れない。見るぺーヂと讀むペーヂを對照するとき、趣味の市民讀本、縣民讀本として、我が郷土の姿態の一般を想察することが出來よう。又本縣に遊ぶ人々にとつては趣味の友として、よきガイドをも務めるであらう。
 全卷を通じて、版畫は木版、リノリウム版、亞鉛凸版、三色版、網目版、エツチング版、石版、コロタイプ版等合せて百余頁、説明は百三十頁、卷末には創作版畫と其の作り方の一編を挿入した。
 小中學校に於て、版畫が正課として課せられるに至つた今日又各地とも郷土の調査、研究、開發の盛な今日、版畫趣味の一般に向上普及した今日、創作のためにも、鑑賞のためにも、この小さな營みが何等かの刺激となり、共々に伸び行く資料ともなれば幸である。
 本書の出版に際し、知事閣下並に名取貴族院議員より題字の揮毫を賜り、新海觀光協會長、細田商工會議所會頭、太田師範學校長より序文を戴いた事は、本書の光榮とする所で深く謝意を表するものである。

  昭和八年七月

編著者識


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