64 天目山片手斫[# 目次では「切」となっている]

天目山は勝頼公終焉の地として有名である。徳川家康が勝頼公の追福のために、武田氏の臣小宮山内膳の弟、拈橋[#「拈」は原本では表記がはっきりしない]を寺主とした景徳院の庭には、旗立松の遺跡がある。勝頼が代々の寳旗をたて、世子信勝に環甲の禮を行はせた所である。現存の墓石は主從の露と消えた、この場所に立てられたものである。日川の溪谷に「土屋惣藏片手斫遺蹟」がある。右に岩角突出し、左に日川の崖を望み、要害の地である。「壬午の變」彼が此處に身を潜め、裏切の敵兵を滅多斫りして川に落したため、三日間も血が流れて止まらなかつたとか。
それから日川の名稱は出てゐると、土地の古老は語つてゐる。

(佐野 武)


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