發刊の辞


 私たちが日常無関心で踏んでいる土の下にはこの町に初めて生活を営んだ人たちの歴史が秘められ雑草に埋もれている路傍の石祠・石佛は我等の祖先が禍を防ぎ、幸いを願い、縁結び・子授けを祈つた民間信仰の對象であり、黄金の波をなびかせる稲田は祖父曾祖父が開拓した美田である。この様に一木一草、一ト握の砂もこの町が今日の繁栄を來した事にゆかりのないものはないと思う。要するに我々の祖先がこの地を子孫永住の地と選び、農地を開き、灌漑を図り、そこに幾多の家族が集団して苦樂を共にし、有機的な協同生活を営み、氏神を中心として村落社会を建設した、かくしてながい年月を経て生長発展したのが日下部町である。
 歴史の究明は單なる懐古趣味ではない 町の成立、気候風土、人情風俗、交通関係等を究め、資源の開発、町民経済の発達、文化の向上等を推進する基礎的資料を得んとするためである。この町の今日の存在は歴史の段階の上に築かれたものであり、今後の発展も今日の存在の上に築かれていくものであつて、今や本町も都市計画の遂行途上にあつて、將来の市政施行を目ざして躍進を期している。
 かゝる意味において、長い間町誌の編纂の必要を痛感されていたが、あだかも本年は町制施行二十周年に當たるので前町長齋藤辰丸氏はこれを機会に町制施行二十周年記念事業の一環として町誌編纂を企て町議会の協賛を経、日下部町誌編纂委員会を設け編纂に着手したが、惜しくも任期満了のため退職され、不肖私が継承し、各方面の絶大なる支援により漸く茲に発行を見るに至つたのは喜びにたえない。
 本誌の発行によつて前述の目的を達し、愛郷心を養い更に學校における社會科の研究資料となり、又年々歳々失われてゆく貴い資料の保存が出來ることを町民と共に喜びたい。
 本誌編纂に當つて御盡力下さつた編纂委員各氏、資料を提供して下さつた町民諸賢、編纂費を補給して下さつた有志の方々に深く感謝の意を表するしだいである。

  昭和二十七年三月  日

日下部町長       飯 島 茂 治


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